問わず語り。

そう言えば、そうなんだよな。
ふと胸に落ちた。それが答えかと。




どんなに上等な物を持っていようと、僕はいづれ壊してしまうし、
燃えるものなら何だって焦がしてしまう。
どんなに大切にしていても、煙草で穴を開けてしまう。
失くしてしまう、割ってしまう。
壊さずに居られないから、所有したいものを所有したくない。
決して傷つけずには居られないんよな、それも決定的な傷を。


小川先生が新しく本を出された。
タイトルは「科学の扉をノックする」。
新聞に広告で載っていて、僕はそれを目にして読まないとな、と言った。
その場に居た父が続けて言う。
よう心の扉なんて言うけどや、開け閉め出来るもん違うやんなあ。
心に扉なんかある訳ないやん。そう鼻で笑った。
成る程、確かに。妙に納得してしまった。
見えないものに扉がついて居るなんて、感覚の比喩にしか過ぎない。
自分が心というものに対して、感じていた違和感の正体が判った気がした。
目に見えないんだ。証明も何も無い。ただ感覚があるだけで。
傷なんて、あると思うからあるのかも知れない。
壊れたり歪んだりなんて言うのも、ただの言い回しに過ぎない。
自分でその概念に枠をつけて、無形のものを形があるかの様に扱っていた。
それ自体が、違和感だった。
心という言葉で括り、扉をつけて、何らかの形に押し留めていたもの。
僕は多分、壊れるかどうかも分からないものを壊す事に、恐れを感じていた。
形が無いのに、壊れる訳が無いじゃないか。
ただ、その恐怖心、心という名前も含めて、ただ単に窮屈だっただけなんだ。
恐らく、恐らく。論理的でありたかった僕の側面にとって。